24   世に現れた永遠の命


 命が現れました! 父と共にいましたが、今やわたしたちに現された永遠の命を、わたしたちは見て、証しをし、あなたたちに告げ知らせます。

  (ヨハネの第一の手紙 1章2節)


 ヨハネは、自分がその耳で声を聞き、その目で見つめ、その手で触れた方、すなわちナザレのイエスを「命の言葉」として世界に告知します。その証言と告知から生まれたのがヨハネ福音書でした。ヨハネはその告知を聞いた者たちに、生涯の終わりにその告知をまとめて語りかける文書を書き残します。それがこの手紙です。標題に掲げた言葉は、その手紙の書き出しの部分(一・一〜四)の中心に位置する言葉です。

 ヨハネは、自分が実際に目で見て手に触れたイエスが、十字架刑による死の後、復活して神のもとに帰られたのを見ています。ヨハネはこの方を福音書の序詩で、「初めに神と共にいまし、神であった」方として賛美し、イエスはこの方が終わりの日に肉体をとって人間の姿で現れた方であると語っていました。この事実をこの手紙で改めて取り上げ、「イエスは肉体をとって来られたキリストである」と言い表します。

 ヨハネは、自分が実際に目撃したイエスが、この世界での永遠の命の現れであったことに改めて深い感動を覚えて、「《ゾーエー》が現れたのだ」と叫びます。《ゾーエー》とは、わたしたちが生まれながらに生きている命とは別種の、神から与えられる命のことです。人間が追求する究極の目標、死に打ち勝っている命、永遠の命のことです。この《ゾーエー》を告げ知らせる言葉、それに身を投じることが《ゾーエー》を得ることになる言葉、それが「命の言葉」です。それ自身《ゾーエー》である言葉です。

 福音書はこの「命の言葉」を証言し告知する書です。ヨハネが自分たちが実際に目撃したことを世界に告げ知らせるのは、自分たちが今体験している交わり《コイノーニア》を、聞く者たちにも分かち与えるためです。では、彼らの交わりとはどういう交わりであるのか。それは「父との交わりであり、御子イエス・キリストとの交わりです」。この二つの交わりは一つです。わたしたちは御子イエス・キリストとの交わりに与ることによってはじめて、イエスの父なる神、唯一のまことの神との交わりに入ることができるからです。そして、神との交わりこそ宗教の究極目標であり、そこで人間存在の意義と目標が達成され、人間として生きる喜び、命の充満という喜びが満たされるのです。 


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