112  老人は夢を見る


 その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。

 あなたたちの息子や娘は預言し、

 老人は夢を見、若者は幻を見る。

(ヨエル書 3章1節)


 数年前あるアンケート調査で、日本人が好きな漢字を訊ねたところ、「夢」が一位でした。実際に見る夢はたいてい荒唐無稽で、人生の励ましにはなりませんが、「夢」という言葉には、苦しい現実を超えて、将来に明るい希望を見させる響きがあります。それが好まれたのでしょう。キング牧師が「わたしには夢がある」と叫んで、虐げられた黒人を励ましたときの「夢」も、このような希望であり、ヴィジョンであったのでしょう。

 ところが、人生は年毎に夢を奪っていく過程です。若いときに抱いた高い志、青年期に描いた華やかな夢は、時間が容赦なく剥ぎ取っていき、老年には何の夢も残らなくなっています。人々の世話を受けて生存しているだけの老人に、どのような希望があるのでしょうか。老人はどのような夢を見ることができるのでしょうか。

 昔、神は預言者ヨエルを通して、終わりの日にはすべての人に神の霊を注ぐことを約束されました。福音はその約束がキリストにおいて成就したことを告知します。今、キリストを信じる者は約束の御霊を受けて、新しい質のいのちに歩み始めています。その御霊が人生にもたらす様々の新しい相の中で、「老人は夢を見る」という不思議な言葉が心を惹きつけます。これは人生の現実に反する言葉だからです。

 キリストにある者は老年に至ってどのような夢を見るのでしょうか。それは若いときに見た幻(ヴィジョン)と同じです。若いときに御霊によって見た幻は、人生を貫いて深められ、老年に至って地上の現実を超えた夢となります。若いときの「神の国」の幻は、老年で復活の希望に焦点を結び、泡沫として消える儚い夢ではなく、神の霊によって保証された確かな希望という夢になります。若いときに人の思いで立てた計画や志は挫折し、砕け散りました。老年は、体は力を失い、気力は失せ、社会から忘れられる寂しい時期です。しかし、その分、来るべき栄光が内に満ちてくる輝かしい時期でもあります。それは、「外なる人は衰えいくとしても、内なる人は日々新たにされていく」からです(コリント第一 4;16)。

ーーーーーー

ここをクリックして 「天旅ホームページ」  を開く。