114  ヨブの苦しみ


わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、

 不幸もいただこうではないか。

(ヨブ記 2章10節)


 ヨブ記は義人ヨブの苦難を主題にしています。すなわち、正しい人がなぜ理由もない苦しみを受けなければならないのかという問題です。ヨブ記は、この人生の不可解な問題にイスラエルの知者が格闘した文学です。

 著者は最初に解答を与えています。天上で、義人ヨブを誇る主に対してサタンが、「ヨブは利益もないのに神を敬うでしょうか」と言って、ヨブの敬虔が利己的なものであると挑戦します。それで、主はサタンの挑戦に応えて、ヨブが自分の利益のために神を敬うのではないことを証明するために、ヨブに苦難を下すことをサタンに許可したというのです(1~2章)。

 ヨブは突然の災害で全財産を失いますが、その時「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と言い、全身が病魔に犯されたとき、標題の言葉によって神への信頼と賛美を貫くのです。

 これは、いわば模範解答です。しかし、理不尽な苦難に遭遇すると、現実の人間の心の奥底には、この模範解答には納得できず、自分の存在そのものをも呪いたくなるほどの苦悩が生まれます。著者はこの苦悩を直視し、その苦悩の内容を三人の友人たちの対話という形であぶり出し、それを詩文で描きます。これがヨブ記の本体をなし、世々に多くの人の魂を惹きつけてきました。

 この対話を通して、友人たちが代弁する伝統的な因果応報の神学は破綻し、神に向かって自分の潔白を主張するヨブもまた、最後には不可思議な神の知恵と主権の前に「塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。そして、そのひれ伏しの場で、「あなたのことを、耳にはしておりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます」と告白します。すなわち、今までは他人が神について語る言葉で神との関係を考えてきたが、今は自分が直接神との関わりの中に生きて、神から一切を受ける者となったというのです。

 ここで初めて、最初の模範解答は、他人が書いた模範解答ではなく、自分自身が心から告白する解答になるのです。わたしたちにも、他人には代わってもらえないそれぞれの人生の苦しみがあります。わたしたちは、その苦しみの中で父の絶対恩恵への信頼と感謝に生き抜く体験を通して、標題の言葉が心からの告白となるのです。苦難は信仰の勝利と神の栄光の場となるのです。

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