213 恩恵の支配

 罪が死の領域で支配したように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストによって永遠の命に至らせるのです。
 (ローマ書 5章21節)

 これまでに見たように、わたしたちはまったく自分の働きによらず、神の働きを無条件に受け取る信仰によって、神との本来の関わりに立ち戻りました。今はキリストにあって神の恩恵の場に生きています。ここから使徒は、わたしたち人間が恩恵の場に生きるとはどういうことなのかを語り出します。それを語るのに、パウロはここで別の視点、すなわちアダムとキリストの対比を用います。この視点はすでにパウロがコリント書で死者の復活を根拠づけるさいに用いていたものです(コリントⅠ 15・20~22)。ここではアダムとキリストが、罪と死の支配下にある人間と恩恵の場で救済にあずかる人間を代表する《アントローポス》(人間)として用いられます。実に創世記の冒頭に語られているアダムは「来たるべき者の型」、神がこの世界に送ると約束された救済者キリストの《テュポス》(型)なのです。パウロはキリストを「終わりのアダム」とも呼んでいます。
 花の形を彫った木は、その形をした菓子の「型」です。木型は花の形をした菓子を得るためのものです。神はキリストの形をした人間を得るために、アダムを用いられました。ではアダムとキリストはどこで同じ形をしているのでしょうか。それは、アダムとキリストはそれぞれ「アダムにある者」と「キリストにある者」という二種類の人間すべてを代表しているという点で同じ形をしています。しかし、その内容はまったく正反対です。パウロはこの一段(5・12~21)でこの両面、すなわち型として同じ形の対応関係(コレスポンデンス)と内容が正反対という対比関係(コントラスト)を見事に描き出します。
 わたしたち生まれたままの人間はみな「アダムにある」という場にいます。その場にいる人間はすべて罪という力に支配されていて、神の怒りと裁きの下にあります。その事実は具体的には死の支配として現れています。それに対して、福音を信じて「キリストにある」という信仰の場にいる者は、キリストという場に働く溢れる神の恩恵によって生きるようになります。それは罪と死の支配からの解放です。その行き先は永遠の命です。パウロはアダムとキリストの関係を語ろうとして、アダムの場合から始めましたが(5・12~14)、それと較べてキリストの場のあまりの豊かさに圧倒されて、恩恵への賛歌を歌い出さずにはおれませんでした(5・15~17)。それを終えてようやく主題であるアダムとキリストの対応関係に入ります(5・18~21)。
 イエスの「神の支配」とは、実は「恩恵の支配」のことでした。使徒パウロはそれを的確に捉えて、彼のあらゆる聖書的・神学的素養を総動員して、世界にこの「恩恵の支配」の福音を告知しています。この「型」としてのアダムとキリストの対比もその一つです。
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