227  希望の神 


 どうか希望の神が、信じることによるあらゆる喜びと平和であなたがたを満たしてくださり、あなたがたが聖霊の力によって希望にあふれますように。

(ローマ書 15章13節)


 使徒パウロはキリストにおける神の恩恵の支配の福音を語り終えて、12章からその恩恵の場に生きるキリスト者の実際の生き方についての勧告を語る第四部に入ります。前半の12章と13章でキリスト者一般の歩み方について勧めをした後、後半の14章と15章では信仰者の中で確信の「強い者」と「弱い者」の対立を乗り越えて、互いに批判することなく、互いに受け入れるように勧め、強い者は弱い者の弱さを担うべきことを説き勧めました。その勧めの根底には、キリストもあなたがたを無条件に受け入れてくださったのであるから、あなたがたも神の栄光のために互いに相手を受け入れなさいという恩恵の支配の福音が貫かれています(15・7)。

 そうした勧めを語り終えて、最後にローマのキリスト者一同に対する願いと祈りを標題の言葉にこめて書き記します。パウロにとって神は「希望の神」です。パウロは生涯「以前に書かれたもの」を学んできましたが、聖書は救済史の証言です。聖書の神は、キリストにおいて人の背きの罪を購い、帰ってくる者は恩恵によって無条件に受け入れ、子とした者に復活の希望を与える神です。こうして救済史の目標である「神の国」は完成します。しかし一面、パウロは先に「神の国とは聖霊による義と平和と喜びです」と書いております(14・17)。神の国はキリストにあって賜った聖霊によってすでにわたしたちの中に来ています(5・1~5)。わたしたちは現在すでに「神の国」を内に賜っているので、来るべきその完成を疑いなく、確実な未来として待ち望んでいるのです。苦難の中でも忍耐と平安の中に希望を持つことができます。キリスト者が聖書を読むのは、「聖書が与える忍耐と慰めによって、わたしたちが希望を持つようになるためです」(15・4)。

 神は働きです。天地の万物を存在させ、わたしを生かしている働き、根源的な働きです。天地の万物はその働きによって存在し、天地の万象はその働きによって生成し、現象しています。その働きとしての神が背く者を愛して、キリストにおいて救いの働きを成し遂げて呼びかけておられるのです、「わたしはあなたを愛した。わたしに帰ってきなさい。わたしはあなたを赦し、受け入れている」と。これが福音です。時間の中で、具体的にはイスラエルの歴史の中で語られたように神は救いの働きを成し遂げられました。その神は今は福音によって、その完成を告知しておられます。働きそのものである神は永遠です。それに対してわたしたち人間は時間の中にいます。時間の中にいる人間にとって、永遠なる神はつねに「希望の神」です。

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