228  福音の初め


神の子イエス・キリストの福音の初め(アルケー)。

  (マルコ福音書 1章1節)


 ナザレのイエスの生涯とその働きを伝える四つの文書が新約聖書のはじめに置かれており、その文書は「福音書」と呼ばれています。イエスの生涯とその働きを伝える文書が「福音書」と呼ばれるのは、神がそのイエスを復活させてキリスト、すなわち人間の救済者としてお立てなったからです。最初期のイエス復活の証言者たちは復活されたイエスを神の子と呼んだので、神の子でありキリストであるイエスの生涯とその働きを世界救済の告知の始まりと呼んだのです。パウロも「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです」と言っています(ローマ書1・3~4)。

 イエスは「肉によれば」、すなわち人間としてはダビデの家系からお生まれになり、イスラエルの民の一人としてその生涯を送られました。イスラエルの民にイエスが約束されたメシア(キリスト)であることを宣べ伝えるためには、イエスが約束を受けていたダビデの家系であることを強調しなければならなかったのです。マタイ福音書では、メシアを待望しているイスラエルの民がイエスを「ダビデの子」として歓呼しています。しかしそのイエスは、イスラエル宗教の最高権威である最高法院から死刑の判決を受け、政治上の支配者であるローマ総督に引き渡されて十字架刑に処せられます。イエスの生涯は十字架の死に向かう生涯、十字架の死によって意義づけられる生涯だったのです。

 そのイエスを神は死人の中から起こされました。これは「聖なる霊」の働きです。この働きが神です。神は天地の万物を存在させている根源的な働きです。その働きがイエスを復活させ、キリストとしたのです。イエスの地上の働きは人を救おうとされる神の働きなのです。神はキリストであるイエスの十字架において人間の救いの働きを成し遂げられたのです。終わりの日の神の働きはイエスに始まり、神の国の完成の時まで続きます。わたしたちはイエスの生涯と働きを見るとき、神の救いの働き、すなわち福音の始まりを見ているのです。わたしたち福音を信じ、キリストにあって聖霊の働きを受けて歩む者には、イエスの地上の生涯と働きは、福音の《アルケー》(根源、初め)です。

 イエスは地上で働かれた時には、悪霊を追い出し病人をいやすなど力ある働き(奇蹟)をなし、「御国の福音」を宣べ伝えられました(マタイ4・23)。御国とは神の支配のことです。イエスが示された神の支配は、ユダヤ教をはじめそれまでの諸宗教が人間に押しつけてきた儀礼や信条の要求ではなく、神の側からの恩恵による無条件の受け入れという新しい関わり方です。それは背く者を赦し、資格のない者を神の栄光にあずかるように招く「恩恵の支配」です。わたしたちは福音書においてこの恩恵の告知を聞くのです。

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