232  復活の希望


 イエスを死者たちの中から復活させた方の御霊があなた方の内に宿っているならば、キリストを死者たちの中から復活させた方は、あなたがたの内に住んでいてくださる御霊によって、あなたがたの死に定められた体をも生かしてくださるのです。

 (ローマ書 8章11節)


 わたしたちは「死に定められた体」をもって生きています。この体をもって生きるわたしたちの地上の生涯は必ず終わりを迎えます。この死に定められた体に「命を与える」働きが成される時が来ます。「命を与える」という動詞は未来形です。その働きを成すのは、「キリストを死者たちの中から復活させた方」です。そしてその働きは、今わたしたちの内に働いてくださっている聖霊によって成されるのです。キリストにある者の内にあって、自分に死に神に生きる者とさせている聖霊が、この死に定められた体に命を与え生かしてくださる、すなわち復活させてくださる時が来るのです。

 わたしたちはそれがいつ、どのように成されるのかは知りません。それがあまりにもわたしたちの思いを超えるので、使徒たちの時代にも信徒の中に「死者たちの復活などはない」と言う人たちがいました。そういう人たちの誤りを正すために、パウロは書簡の長い一章をあてています(コリント第一 15章)。そこでパウロが言っているように、「しかし今や、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たち(亡くなった人たち)の初穂となられました」(20節)。もし神が死んだ民を復活させて御自身の国を完成させる御計画でなければ、ご自分の民の代表者であるキリストを復活させることもなかったはずではないか、とパウロは迫ります。ところが事実、キリストは復活して「命を与える霊」となり、彼を信じる者の内にあって「命を与える」働きを進めておられるのです。アダムにあって、すなわち生まれながらの人間はすべて死にますが、キリストにあって上より生まれた者、キリストにおける神の働きによって生きる者は、すべて生きるのです(22節)。

 では、死者たちはどのように復活するのか。時間が果てる終わりの時に成し遂げられる神の新しい創造がどのような形になるのか、時間の中にいるわたしたちは知ることが許されていません。しかし、聖書は地に蒔かれる種の比喩を用いて、この問いに答えています。「蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときは弱いものでも、力強いものに復活するのです」(42~43節)。最後のラッパが鳴るとき、死者は復活して朽ちないものとされ、わたしたち地上にいる者はその姿を変えられ、「死は勝利にのみ込まれた」という賛美が響き渡ります。現在すでに聖霊によって永遠の命を生きている者は、死に定められた生から生じる不安を克服し、「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるるのか」と勝ち誇ることができるのです(50~55節)。

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