235  エクレシアと教会


 コリントにある神の教会(エクレシア)、すなわち、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々へ。

 (コリント第一  1・2)


 これは神によって選ばれキリスト・イエスの使徒とされたパウロが、コリントにあるキリスト者の集会に書き送った手紙の宛先の部分です。パウロは宛先のキリスト信者の集まりを「エクレシア」と呼んでいます。《エクレーシア》というギリシア語は「呼び出された者たちの集まり」という意味の語で、最初期のエルサレム共同体の信徒たちは自分たちを、終わりの日に神から呼び集められた民として、「神のエクレシア」と呼んで、一般のユダヤ教徒から区別していました。ユダヤ教徒のパウロはその「神のエクレシア」を迫害したのです(コリントⅠ  15・9)。ところがこの「エクレシア」が現代語の聖書では「教会」と翻訳されたことで、新約聖書が大いに誤解されることになります。

 新約聖書がヨーロッパ諸国の諸言語に翻訳された時には、すでにキリスト教会が存在し、活躍していました。一般の民衆にとっては教会は身近な現実ですが、聖書は見たこともない遠い存在です。キリスト信者とは教会の儀式に参加して信条を唱え、教会が教える神に祈りを捧げる生活をする者、すなわち「キリスト教信者」でした。「エクレシア」と「教会」はそれぞれ別の現実を意味しています。新約聖書には「教会」という語は出てきません。ところが新約聖書のエクレシアが後世に「教会」と翻訳されたことで、新約聖書以後の時代に形成された教会が、聖書の権威によって絶対化されることになりました。

 新約聖書の「エクレシア」もバプテスマを行い、主の晩餐を守っていました。しかしそれは、その執行が神の働きを保証する儀礼(サクラメント)ではなく、あくまで十字架されたイエスを復活者キリストとして信じる信仰告白の表現でした。そう信じてイエス・キリストを主《キュリオス》と言い表す者に、神は聖霊を注いでご自分の子とし、神の霊による交わりを与えられました。そのキリスト信仰の民の聖霊による共同体を、新約聖書は「エクレシア」と呼んでいるのです。エクレシアは聖なる民、すべての民族から呼び集められて、神の働きのために選び分かたれた民なのです。

 このようなエクレシアと教会の区別、神の霊が形成する共同体と人間の歴史が形成した宗教教団とか教会との区別を、もっとも鋭く説いたのが使徒パウロです。彼は、キリストを信じる異教徒に割礼を受けてユダヤ教に改宗することを要求した者たちに、命がけで反対しました。パウロは叫び続けました、「今や神の救いの働きは、宗教の枠の外で、ただキリストにおける神の恩恵の働きの中に現された」と。天地の万物を創造し、すべての民を慈しまれる神は、ユダヤ教とかキリスト教とか仏教とか特定の宗教の枠の中で働くのではなく、キリスト・イエスを信じて受け入れる者たちを、その民族や宗教の区別なく受け入れ、ご自分に聖別された民「エクレシア」とし、世界の救済の働きを進めておられます。

ーーーーー

ここをクリックして 「天旅ホームページ」  を開く。