236  キリストにおける神信仰


しかし、信仰が現れたので、もはやわたしたちはこのような養育係の下にはいません。

 (ガラテヤ 3・25)


 わたしたち人間は自分たちの理解や能力を超えた問題を解決するために、自分を超えた力のある存在に頼ります。その超自然の存在を神と呼んで、その神からの力に助けられることを願って、その神を祭る祭儀を行います。その営みが宗教です。現世人類(ホモ・サピエンス)は宗教的な営みをしないではおれない「宗教する人間(ホモ・レリギオースス)」です。直面する問題の多様さによって多くの神々が崇められることになります。歴史上の各民族が古来から行ってきた宗教(民族宗教)はみな、このような多神教宗教でした。世界は幾百万の神々に満ちています。 

 その多神教的な諸民族の中で、ユダヤ人は自分たちをエジプトの圧政から救い出した神だけを拝む一神教宗教を奉じ、さらにバビロン捕囚の体験を経て、世界にはその神だけがいますのだという唯一神信仰の宗教、ユダヤ教という宗教を形成しました。そのユダヤ教の中から、十字架につけられて死んだナザレのイエスを神は復活させて世界の救済者キリストとしたのだという告知、「福音」が世界に告げ知らされることになります。その福音を告知した使者のパウロがこの標題の宣言をしたのです。

 ここでパウロはユダヤ教を「養育係」と呼んでいます。養育係というのは、貴族など資産家の相続人が未成年の間、親の資産を引く継ぐことができるように監視して教育する家庭教師のことです。ローマ社会では奴隷の仕事でした。実はユダヤ教だけでなく、人類の宗教はみなこのような養育係であるのです。人間は創造者なる神によって存在させられ生かされている神の子なのです。神の資産の相続人なのです。ところが人間は神に背いて神の栄光(資産)を受け継ぐことができなっているので(ローマ3・23)、その事実を自覚させ、相続人にふさわしい者となるように監視・教育するのが宗教の役目です。

 しかし福音は告げます、今や「信仰が現れた」ので、人間はもはや宗教の監視と教育の下に束縛されていないのだと。信仰に生きる人間は成人したのです。この信仰とはキリスト信仰のことです。キリストにおいて現された神の絶対無条件の恩恵に自分の全存在を委ね、キリストの中で、キリストによって神の霊を受け、その霊によって「アッバ、父よ」と呼んで、神の恩恵の中に生きる信仰です。それは神の子としての実質を与える神の働き、聖霊を受けること、「子とする御霊を受ける」ことです(ローマ8・15)。

 わたしたちキリスト者は、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教や仏教などの宗教の枠の中に閉じこめられていません。宗教の枠の外で神との交わり、神の栄光、神の資産を受け継ぎます。わたしたちは人間本性が弱くて病んでおり、神の栄光を宿すのにふさわしくないことを承知しています。しかし、今や信仰が現れ、神がその恩恵によって子とする聖霊を与え、その働きによってわたしたちを神の栄光の相続人としてくださっているのです。

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