237  神の愛による共同体


 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。

(ヨハネ第一の手紙 4・7~8)


 人間は一人では生きていけません。仲間をもち、共同体を形成します。多くの人間を結びつけるものは共通の関心であり、価値です。もっとも基本的な関心は生存と生の保持に必要な家族と収穫でしょう。それが発展拡大して民族や文化となり、多くの仲間を結びつける紐帯(ちゅうたい)となります。その紐帯の中で太古の昔からもっとも普遍的で強力なものが宗教でした。しかし現代ではその宗教が衰退し退場して、人類は宗教に代わる共通の価値を模索しているところです。世俗化した現代では、共通の至上価値を人間自身に求めるという意味でのヒューマニズム(人間主義、人間愛)がすべての共同体の原理となるのでしょうか。

 そのような現代世界に、福音は神の愛を告知します。わたしたち人間と世界を存在させている根底の働きが愛であることを告知します。わたしたちはその根源的な働きである神に背を向けて、自分自身の中に閉じこもっていました。神を求め、神を慕う心を失っておりました。しかし神はわたしたちを愛して、御子キリストを世に送ってくださいました。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪(神への背き)を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネⅠ 4・10)。キリストとしてのイエスが十字架にかけられて死なれたのは、わたしたち背く者を贖ういけにえでした。「わたしたちがまだ罪人であったときに、キリストがわたしたちのために死なれたことによって、神はわたしたちに対する御自身の愛を示しておられるのです」(ローマ5・8)。 

 神は背く者を無条件の恩恵をもって赦し受け入れてご自分の民とし、その民に愛を注がれました。その上で、その民がこの神の愛をもって互いに受け入れ、愛の共同体を形成することを願っておられます。キリスト教は愛の宗教と呼ばれて、その教会は愛をもって形成されることを標榜しています。しかし実際のキリスト教会は、教会教義の告白、洗礼や聖餐などの教会典礼の実行を教会員であるための条件として要求するだけで、実際にお互いが神の愛によって結ばれて形成さているかどうかには無関心です。宗教はわたしたちに神の愛を注ぎません。神の愛をわたしたちの中に注ぎ込んで、わたしたちを神の愛に生きるように実際に造り変えてくださるのはキリストにあって受ける神の御霊、聖霊だけです。「わたしたちに与えられている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心の中に注ぎ出されている」のです(ローマ5・5)。「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります」(ヨハネⅠ 4・13)。

ーーーーー

ここをクリックして 「天旅ホームページ」  を開く。