238  復活の命を生きる


 イエスは言われた、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」。

(ヨハネ福音書 11章 25節)


 これは、死んだラザロの墓の前で泣くマルタに、イエスが「あなたの兄弟は復活する」と言われ、マルタが「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と応えた時に、イエスが言われた言葉です。マルタは敬虔なユダヤ教徒です。当時のユダヤ教が到達していた「死者の復活」を信じていました。それは、神が終わりの日にご自分の民を死者の中から復活させてくださるという信仰です。キリスト教はユダヤ教から出た宗教であり、ユダヤ教が到達した「死者の復活」の信仰を受け継いでいます。キリスト教徒はその信条で「死人の復活」を言い表しています。しかし、ユダヤ教徒もキリスト教徒も信条としては「死者の復活」を言い表していても、実際の生においては死の現実の前には途方にくれて、墓の前で泣く他はありません。

 その中に現れたイエスはこう言われるのです。ヨハネ福音書のイエスは、地上の一人のユダヤ人であり、また同時に復活者キリストです。その復活者キリストであるイエスがこう言われるのです、「わたしが復活であり、命である」。復活は宗教の信条の中にあるのではありません。復活されたキリスト・イエスが復活であり、復活を含む命なのです。このキリストであるイエスに自分を投げ込んで、この方に合わせられて生きる者がはじめて、「わたしは今キリストの命、死んでも生きる命、復活に至る命を生きている」と言うことができるのです。

 この言葉に続けてイエスは言われます、「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」。イエスを復活者キリストと信じる者も、信じていない人と同じように、時がくれば死にます。しかし復活者キリストにあって生きる者は、その死が自分の存在の最後ではないこと、自分がこの復活者キリストの中に生き続けることを知っています。今地上で生きている時に共にいるイエスは復活者キリストなのですから、死後のわたしもこの方と共に生き続けます。わたしたちは死後の世界がどういう姿であるのか、死後の時間はどのように経過するのかは知りません。しかし自分が復活者キリスト共にいることだけは知っています。

 宗教的信条を信じて言いあらわすのは、わたしたち人間の働きです。しかし、わたしたち人間をキリストの中に生きるようにしてくださるのは神の働き、聖霊の働きです。聖霊が一人の人間ナザレのイエスが復活者キリストであることを啓示して、その十字架されたキリストにおいてわたしを無条件に受け入れ、その命にあずからせてくださるのは神の恩恵、聖霊の働きです。わたしたちは聖霊によって、この死に定められた体において復活の命を生きているのです(ローマ書 8・11)。

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