239  福音と宗教


肉の弱さのために律法が成しえなかったことを、神は成し遂げてくださったのです。

 (ローマ書 8章3節)


 使徒パウロは、キリストの福音とは何かを語るとき、多くの場合それを「律法」との対比で語っています。パウロの手紙には「律法」という語が実に多く用いられています。現代のわたしたちは、この用語に接するとき何か道徳的な規定とか要求を連想します。しかし、パウロの時代のユダヤ人は多くの場合、この語で彼らの宗教であるユダヤ教を指していたのです。パウロが用いた《ノモス》というギリシア語はヘブライ語の《トーラー》を指し、それはユダヤ教という宗教の全体を指していました。パウロが「人が義とされるのは《ノモス》の実行によるのではなく、キリストの信仰によるのである」と言ったとき、それは神との本来の交わりに入るのはユダヤ教という宗教の実行ではなく、ただ神がキリストにおいて成し遂げてくださったことに身を委ねる信仰によるのだと言っているのです。

 ここに掲げたローマ書の一句、「律法が成しえなかったことを、神は成し遂げてくださった」も、ユダヤ人が唯一真正な宗教であるとしているユダヤ教も成しえなかったことを、神が成し遂げてくださったと宣言しているのです。宗教は人間が到達すべき目標を掲げ、その目標を達成するための方法を教えます。目的地とそこに至る道を示します。しかし人はその目的に到達することはできません。それは人間の本性が弱くて、その道を歩む力がないからです。このことをパウロはここで「肉の弱さのために」と表現しています。実は人間の本性(肉)は霊なる神の本性とは逆の方向に向かっているのです(ガラテヤ5・17)。そのため宗教がいくら立派な目標をかかげ、そこに至る道を懇切に教えても、人間はその目標に到達することはできないのです。

 これはキリスト教も同じです。キリスト教は唯一真正なる宗教であることを誇り、洗礼を受けてキリスト教に改宗し、その規定に従って聖餐などの儀式にあずかり、キリスト教の教義を言い表し、その生活規定を順守するならば救われると言っています。しかしわたしたちはその本性的な弱さから、その規定をすべて順守することはできず、キリスト教が掲げる目標には到達することはできないでいます。こうして人間本性の弱さのために宗教が成しえなかったことを、神が成し遂げてくださったのです。では、どのようにして神がそれ(宗教が成しえなかったこと)を成し遂げてくださったのかが、これに続く「つまり」で始まる3節後半から4節で語られます。

 パウロはこう言っています、「つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした」。神、万物の創造者であり、その全存在の根源である方は、世の諸宗教が成し得なかったこと、ユダヤ教やキリスト教という優れた宗教でも成し得なかったことを成し遂げるために御自身の子をこの世に送り込んでくださったのです。パウロがここで「御子」と呼んでいる方はイエス・キリスト、復活によって神の子と公示されたナザレのイエス、キリストとしてイエスのことです(ローマ書 1・2~3)。

 「神は御自身の子を罪の肉と同じ姿で、かつ罪のために遣わして、肉にある罪を断罪されました」(3節後半の私訳)。わたしたち人間は本性的に神なしに自分の力で生きようとして神に背いています。これが「罪の肉」と呼ばれます。イエスはわたしたちと同じ人間として生まれ、地上の生を送られました。そのイエスが十字架上に苦しみ死なれたたのは、神がこの人間本性となっている罪を断罪し、人間を罪の支配から解放するためでした。そして続いて、神がこのような自分の子を裁くという限りなく苦しくて辛いことをなされた目的が、「それは律法の正しい要求が、肉に従ってではなく御霊に従って歩むわたしたちにおいて満たされるためです」(4節私訳)  と語られます。 

 パウロはここで「律法の正しい要求」(直訳は「律法の正しさ」)と言っています。これはユダヤ教の正当な目標を指しています。律法、すなわちユダヤ教は「聖なるものであり、正しく、善いもの」なのです(ローマ書7・12)。その宗教が、人間本性の弱さのために成し得なかったことを、神は成し遂げられました。すなわち御子イエス・キリストの十字架の死によって罪を裁き、信じる者を罪の支配から解放し、義として受け入れ、復活されたキリストによって聖霊によってバプテスマする働きをお始めになりました。それは、聖霊を受けた者が、その霊に従うことによってユダヤ教という宗教が人間に求めていること、すなわち神との交わりという現実に入り、ユダヤ教が目指す目標、神の国とか神の支配という目標に到達するためです。これはキリスト教も同じです。人間本性の弱さからわたしたちがキリスト教という宗教を実行して、神との交わりに入ることはできません。神がキリストにあって与えてくださる聖霊に従って生きる者の中に、神が働いてくださることによって初めて、キリスト教が目指す目標が実現するのです。

 神の支配とは「恩恵の支配」です。神は背く者を無条件で赦して受け入れ、受ける者の資格を問わないで神の霊という最高のものを与えて下っています。この神の恩恵の場で人間がお互いに赦しあい、受け入れあって愛の共同体を形成することを、神は求めておられます。世界には多くの霊感者や知者賢人が起こり、その教えが多くの宗教として人類社会に定着してきました。しかしいくら立派な宗教が人間に目指すべき目標やその道を指し示しても、人間は宗教では目標に到達できないことを、歴史は示してきました。その宗教が成しえなかったこにとを、創造者なる神がイエス・キリストによって成し遂げられたことを福音は世界に告知しています。今や世界は静まってこの福音に聴き従うべき時です。

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